スペイン旅行記(マドリード)


プラド美術館(イタリア絵画)


 ここで現地ガイドさんによる作品の説明は終了です。ここから30分ほどのフリータイムです。ショップで絵ハガキや図録も購入したいので、駆け足で他の作品を見て回ります。
 
 まずは、2階のエントランスに展示されている「狂乱を屈服させるカール5世」の彫像です。
 
狂乱を屈服させるカール5世(レオーネ・レオーニ)
狂乱を屈服させるカール5世
(レオーネ・レオーニ)
 16世紀のヨーロッパはカトリックとプロテスタントが対立し宗教的に大混乱していました。
 
 神聖ローマ帝国の皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)は1547年のミュールベルクの戦いで、カトリック側の総帥としてプロテスタント諸侯の軍勢に大勝利をおさめます。
 
 翌1548年、カルロス1世はミラノで活躍していた彫刻家レオーネ・レオーニ(1509〜1590年)に、この勝利を記念して作品を依頼しました。カルロス1世の足元では混乱を擬人化した像が鎖に繋がれています。
 
 続いては、ヴェネチアで活躍した画家、ティツィアーノ・ヴェチェリオ(1490〜1576年)が描いたカルロス1世の騎馬像です。
 
カルロス1世の騎馬像(ティツィアーノ)
カルロス1世の騎馬像(ティツィアーノ)
 カルロス1世は生涯を戦いに明け暮れる一方で、芸術に高い関心を持ち多くの芸術家を庇護しました。中でも彫刻ではレオーネ・レオーニ、絵画ではティツィアーノを重用しました。
 
 カルロス1世は、ミュールベルクでの勝利を記念してお抱えの彫刻家レオーネ・レオーニに彫像を作らせましたが、同じ1548年にお抱えの画家ティツィアーノにこの絵画を描かせました。
 
 続いては、カルロス1世の妃イサベル皇后の肖像画です。
 
イサベル皇后の肖像画(ティツィアーノ)
イサベル皇后の肖像画(ティツィアーノ)
 1525年、カルロス1世はポルトガルの王女イサベルと結婚します。二人はセビーリャで結婚式を行い、新婚旅行でアルハンブラ宮殿を訪れました。
 
 二人はとても仲睦ましく、1527年には長男フェリペ(後のスペイン王フェリペ2世)が生まれましたが、彼女は1539年に36歳の若さで亡くなりました。
 
 この絵は、彼女を懐かしむカルロス1世の依頼で1548年に描かれたものと言われています。
 
 1547年のミュールベルクの戦いでプロテスタントの軍勢に大勝利したカルロス1世ですが、宗教改革の嵐を鎮めることはできず、1555年にアウグスブルクの宗教和議でプロテスタントを認めることになります。キリスト教を1つにまとめるという夢が破れたカルロス1世は隠居を決心します。
 
グロリア−栄光(ティツィアーノ)
グロリア(ティツィアーノ)
 彼は、ユステという山村で余生を過ごすことを決め、礼拝堂に飾るための祭壇画をティツィアーノに描かせます。それが右の「グロリア(栄光)」です。
 
 画面右のちょっと上に位置する白い衣装をまとった人がカルロス1世です。他にもイサベル皇后やフェリペ2世など、カルロス1世の家族が描かれています。
 
 「キリスト教徒とトルコの戦い」はヤコポ・ティントレット(1519〜1594年)が1578〜1579年に描いた作品です。本名はヤコポ・ロブスティと言いますが、父親が染物屋(ティントーレ)だったことから「小さなティントーレ」を意味するティントレットの通称で呼ばれました。短い間ですが、ティツィアーノの工房で修業していたそうです。
 
キリスト教徒とトルコの戦い(ヤコポ・ティントレット)
キリスト教徒とトルコの戦い(ティントレット)
 
 15世紀以降、オスマン・トルコ帝国はヨーロッパを脅かす存在でした。1526年にはモハーチの戦いでハンガリー王を討ち取り、1529年にはウィーンまで押し寄せました。一方でトルコは海賊を使って地中海を荒らしまわり、スペインやイタリアに甚大な被害をもたらしていました。
 
 カルロス1世の跡を継いだフェリペ2世(在位1556〜1598年)は、ローマ法王庁、マルタ騎士団、ヴェネチア共和国と神聖同盟を締結して大艦隊を編成します。そして、1571年10月に両軍あわせて500隻を超える艦隊と17万を超える兵士が激突し、神聖同盟軍は大勝利をおさめました。