スペイン旅行記(マドリード)


プラド美術館(ムリーリョと北方絵画)


 続いては、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617〜1682年)の作品を見学します。ムリーリョはベラスケスと同じセビーリャの出身です。2人は同時代に活躍した画家ですが、ムリーリョは故郷セビーリャを拠点に制作活動をつづけました。
 
ロザリオの聖母子(ムリーリョ)
ロザリオの聖母子(ムリーリョ)
 「ロザリオの聖母子」は1650年頃に描かれました。
 
 ムリーリョの描く甘美な聖母マリアは多くの人々を魅了しました。ロシアの女帝エカテリーナ2世やフランス国王ルイ16世たちも熱心なコレクターで、彼の作品を収集しました。
 
 この作品は、一見普通の母子を描いたように見えますが、母親はロザリオを持ち、天の愛を象徴する赤色の服と天の真理を象徴する青色の布を身に着けています。
 
 続いての作品は2つの「無原罪の御宿り」です。ムリーリョは生涯に数十点の「無原罪の御宿り」を描いています。
 
 16世紀前半に黄金時代を迎えたスペインは、16世紀後半から戦争の敗北や財政の破綻によって衰退していきます。17世紀半ばにはセビーリャでペストが蔓延し、1年間に人口の半分に相当する6万人の命が失われたと言われています。
 
 飢えや病気に苦しむ人々は、聖母マリアに救いを求めました。こうした信仰の中から聖母マリアは神の恩寵によって生まれながらにして原罪を免れているという「無原罪の御宿り」という思想が生まれました。
 
エル・エスコリアルの無原罪の御宿り(ムリーリョ)
エル・エスコリアルの
無原罪の御宿り(ムリーリョ)
アランフェスの無原罪の御宿り(ムリーリョ)
無原罪の御宿り
(ムリーリョ)
 
 
 ここで紹介している作品は、1つ目は1660〜1665年にかけて描かれたもので、エル・エスコリアル宮殿に飾られていました。もう1つの作品は、晩年の1670〜1680年にかけて描かれたもので、アランフェスの王宮に飾られていました。
 
 どちらの作品も聖母マリアは白い衣装に青い布をまとっていて、足元は三日月に乗っていて天使たちは、棕櫚(しゅろ)、オリーブ、白ユリ、バラを持っています。
 
 最後はフランドルやドイツなど、北ヨーロッパで活躍した画家の作品を見学します。
 
 まずは、ネーデルラントの画家ヒエロニムス・ボッス(1450〜1516年)が1500〜1505年にかけて制作した「快楽の園」です。フェリペ2世がボッスの熱心なコレクターだったことからプラド美術館に収蔵されました。
 
快楽の園(ヒエロニムス・ボッス)
 
快楽の園(ヒエロニムス・ボッス)
快楽の園(ボッス)
快楽の園(ヒエロニムス・ボッス)
 
 
 
 画面は三分割されていて、中央には地上で快楽におぼれる人々が描かれています。左側は楽園で、アダムとイブがいます。しかし、下の方には地獄への穴が口を開けています。右側は地獄をあらわしていて奇妙な形をした生き物に人々が拷問を受けています。
 
 敬虔なキリスト教徒だったボッスは、この作品を描くことで堕落した聖職者や快楽に走る民衆を戒めようとしました。
 
自画像(アルブレヒト・デューラー)
ロザリオの聖母子(ムリーリョ)
 続いてはドイツのニュルンベルク出身の画家アルブレヒト・デューラー(1471〜1528年)の自画像です。
 
 デューラーは世界で初めて自画像を描いた画家と言われていて、この作品は1498年に26歳の自分自身を描いています。
 
 彼はカルロス1世の祖父である神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(在位1493〜1519年)の庇護を受け、マクシミリアン1世の肖像画も描いています。
 
 最後に見学するのはフランドルの巨匠ピーテル・パウル・ルーベンス(1577〜1640年)の作品です。
 
愛の園(ピーテル・パウル・ルーベンス)
愛の園(ルーベンス)
 1630年頃に描かれた「愛の園」は、神話を題材としています。
 
 右上に描かれているヴィーナス像は、ここが愛の庭園であることを示していて、その前では豪奢なドレスをまとった17人の人物がダンスや会話を楽しんでいます。
 
 「三美神」は、ルーベンス晩年の1636〜1637年にかけて描かれました。
 
三女神(ピーテル・パウル・ルーベンス)
愛の園(ルーベンス)
 三美神は、古代神話を題材にした作品で、「貞淑」「美」「快楽」を擬人化しています。
 
 ローマ皇帝ネロの教師だった哲学者セネカは、恩恵を与える、受け取る、返礼する、という3つの行為は密接に関連していて、手を繋ぐ3人の姉妹のようなもの、、、と例えたそうです。