スペイン旅行記(トレド)
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トレドの町並み
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レストランで昼食をとり、午後からはマドリードの南へ70キロほどの位置にあるトレドに向かいます。
マドリードを出発してから1時間ほどでトレドの町が見えてきました。トレドは三方をタホ川に囲まれた小高い丘の上にあります。トレドに到着したバスは、まずはタホ川に沿ってまわりをぐるりと1周します。

トレドの遠景 |
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タホ川とサン・マルティン橋 |
町の起源は古く、カルタゴとのポエニ戦争を経てこの辺りまで勢力を拡大したローマ帝国は、ここにトレトゥムと呼ばれる城塞を建設しました。476年に西ローマ帝国が滅んだ後は、西ゴート族の支配下に入り、6世紀頃に西ゴート王国の首都になりました。
トレドの周りを走ったバスは、対岸の丘にある展望台で停車します。いったんバスをおりて、ここから旧市街の町並みを一望します。

トレドの町並み |
711年、イスラム教徒がアフリカ大陸から押し寄せてきて、翌712年にトレドが陥落して西ゴート王国は滅亡します。イスラム教徒はこの町をトライトラと呼びました。イベリア半島の大部分を征服したイスラム教徒に対して、北方に逃れたキリスト教徒は722年からレコンキスタ(国土回復戦争)を開始します。
レコンキスタは数百年に渡って続きますが、徐々にキリスト教徒が優勢になり、1085年にトレドを奪回します。そして、1492年にキリスト教徒はイベリア半島からイスラム教徒を追い出します。1516年にスペイン王に即位したカルロス1世の時代は、このトレドがスペインの首都になりました。
トレドへの入口の1つであるビサグラ新門には、カルロス1世の紋章だった双頭の鷲が刻まれています。この紋章は、トレド市の紋章になって現在まで続いています。

ビサグラ新門
トレド市の紋章、双頭の鷲 → |
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三方をタホ川に囲まれたトレドの町は防衛には適していましたが、レコンキスタが終わってからは外敵に攻め込まれることはなくなった上、町をこれ以上拡張することができないため、フェリペ2世は1561年に首都をマドリードに移します。
以後、トレドは「16世紀に歩みを止めた町」と呼ばれましたが、カトリックの総本山としてスペインの人々の精神の拠り所であり続けました。
さて、バスで旧市街の入口までやってきましたが、バスは旧市街には入れません。ここでバスを降り、徒歩で旧市街を巡ります。
トレド旧市街は狭い路地が迷路のように張り巡らされています。迷子にならないように、写真を撮りつつ現地ガイドさんの後ろにしっかりついて行きます。

トレドの路地 |
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トレドの路地
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トレドの建物は、赤みを帯びたレンガが特徴的です。現地ガイドさんの説明では、乾いたレンガの壁と強い日差しで出来たシルエットの組み合わせがスペインらしい景観とのことです。

トレドの路地 |
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乾いたレンガとシルエット
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