スペイン王国


フェリペ5世(1683〜1746)


 1700年、ハプスブルク家最後のスペイン王カルロス2世が世継ぎを残さないまま亡くなると、植民地を含む広大なスペイン領を巡ってオーストリアのハプスブルク家とフランスのブルボン家によるスペイン継承戦争がはじまります。
 
フェリペ5世(スペイン、マドリードのプラド美術館)
フェリペ5世
 フランスの太陽王ルイ14世が孫のアンジュー公フィリップをフェリペ5世としてスペイン王に即位させると、これに対抗したオーストリアは皇帝レオポルト1世の次男カール大公をスペイン王に推しました。
 
 フランスの勢力拡大を警戒したイギリス、オランダ、ポルトガル、サヴォイ公国などがオーストリアを支持したため、この継承戦争はオーストリア側が優勢に戦いを進めました。
 
 ところが、1711年にカール大公の兄でレオポルト1世の跡を継いでいた皇帝ヨーゼフ1世が亡くなります。ヨーゼフ1世には後継者がいなかったため、カール大公はスペインの王位をあきらめて神聖ローマ帝国の皇帝に即位しました。
 
 長引く戦争で疲弊していた同盟軍も、スペインの領土を割譲することを条件にフェリペ5世の即位を認めることになり、10年以上に渡ったスペイン継承戦争は終結しました。
 

1699年 1月、神聖ローマ帝国とオスマン帝国がカルロヴィッツ条約を締結
1700年 11月、カルロス2世が死去し、スペイン系ハプスブルク家断絶。ブルボン家のアンジュー公フィリップがフェリペ5世としてスペイン王に即位
1701年 1月、イタリア半島でオーストリア軍とフランス軍が戦い、スペイン継承戦争がはじまる
9月、イギリス、オランダ、オーストリアがハーグ同盟を締結
1703年 5月、ポルトガルが同盟に加わる
9月、オーストリアのカール大公がスペイン王を宣言
11月、サヴォイ公国が同盟に加わる
1704年 オーストリア・ウィーンの新王宮前に立つオイゲン公の騎馬像3月、ブレニムの戦い。マールバラ公爵の率いるイギリス軍とオイゲン公の率いるオーストリア軍がフランスとバイエルンの連合軍を破る
(写真はオーストリア・ウィーンの新王宮前に立つオイゲン公の騎馬像)
10月、同盟軍がスペイン南部のジブラルタルを攻略
1705年 神聖ローマ皇帝レオポルト1世が死去、ヨーゼフ1世が皇帝に即位
1706年 5月、ラミイの戦い。マールバラ公爵の率いるイギリス軍がフランスとバイエルンの連合軍を破る
6月、カール大公の率いる同盟軍がマドリードを攻略
9月、オイゲン公の率いるオーストリア軍がイタリア半島でフランス軍を破り、トリノを攻略
9月、フェリペ5世がマドリードを奪回
1707年 3月、オイゲン公の率いるオーストリア軍がミラノを攻略
4月、アルマンサの戦い。同盟軍はフランス軍に敗北
1711年 オーストリア・ウィーンの国立図書館に立つカール6世の像4月、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世が死去、カール大公が皇帝に即位(カール6世)
(写真はオーストリア・ウィーンの国立図書館に立つカール6世の像)
1713年 オーストリアを除く同盟国とフランス・スペインがユトレヒト条約を締結。ジブラルタルをイギリスに割譲
1714年 オーストリアとフランス・スペインがラシュタット条約を締結してスペイン継承戦争が終結
1724年 1月、フェリペ5世が隠居してルイス1世がスペイン王に即位
9月、ルイス1世が死去。フェリペ5世が復位
1746年 フェリペ5世、死去。フェルナンド6世がスペイン王に即位