スイス旅行記
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シヨン城
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続いては、居住棟になっているエリアを見学します。居住棟は、陸側から攻められることを想定して湖に面した側に建てられています。さらに、陸側は二重の城壁で守られていて、その城壁には回廊や見張り台が設置されています。一際高い塔は11世紀に建設されて14世紀に現在の25メートルの高さに増築されたそうです。

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シヨン城の塔
← 門をくぐって城内へ |
「城主の食堂」と呼ばれる部屋は20世紀に修復されたそうですが、天井や暖炉は15世紀のオリジナルだそうです。食堂を出て階段をのぼっていくと「控えの間」と「衛兵の寝室」があります。衛兵の寝室には隠し扉があって、別の部屋に行けるようになっています。

城主の食堂 |
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衛兵の寝室 |
領主の寝室はサヴォイア家の君主の寝室でしたが、ベッドは置かれていません。サヴォイア家は広大な領土を支配していて、領主と家来たちは常に領内を巡回していました。彼らは、移動するときに家具や調度品も持ち歩いていて、ベッドも領主がシヨン城に滞在するときだけ設置されました。壁は14世紀のオリジナルで、一部に当時のフレスコ画が残っています。

領主の寝室 |
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聖ジョルジュ礼拝堂 |
領主の寝室から繋がっている聖ジョルジュ礼拝堂は領主専用の礼拝堂です。ここでサヴォイア家の歴代の領主は祈りを捧げました。16世紀以降は火薬庫として利用され、19世紀に再び礼拝堂になったそうです。
領主の寝室を見学した後は、城壁の回廊を通って城の塔や武器や鎧の展示室を見学します。サヴォイア家は、レマンの周辺の領土を巡ってベルンやジュネーブなどの都市国家と対立していました。しかし、サヴォイア家の関心は徐々にイタリア方面へ向けられるようになり、1536年にシヨン城はベルンの攻撃を受けて落城しました。6年間に渡って地下牢に繋がれていたボニヴァルは、この時に解放されました。

シヨン城の回廊
武器と鎧 →
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サヴォイア家が去った後、シヨン城は城塞としての役割を終えました。ベルンはシヨン城に代官を置いてワインや食料の貯蔵庫として利用しました。
一方で、レマン湖周辺の領土を失ったサヴォイア家はイタリア方面で領土を拡大していきます。1859年7月の「ソルフェリーノの戦い」では、イタリア北部を支配していたオーストリアのハプスブルク家に勝利をおさめ、1861年にイタリア王国を建国しました。
最後に、シヨン城の歴史についてまとめてみました。
シヨン城の歴史
1150年 |
シヨンの砦に関する最初の記録 |
1189〜
1233年 |
サヴォイア家がシヨン城を建設 |
1255年 |
サヴォイア家のピエールがシヨン城を改修 |
1273年 |
スイス北部の貴族ハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝に即位 |
1291年 |
8月1日、ウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3つの州が同盟を締結してスイス建国 |
1513年 |
スイス連邦に加盟した州が13州に拡大 |
1517年 |
ドイツでマルティン・ルターによる宗教改革が始まる |
1530年 |
フランソワーズ・ボニヴァルがシヨン城の地下牢に幽閉される |
1536年 |
ベルンの軍勢がシヨン城を攻略 |
1588年 |
サヴォイア家がシヨン城の奪回をもくろむが失敗 |
1602年 |
サヴォイア家が再びシヨン城の奪回をもくろむが失敗 |
1816年 |
バイロンがシヨン城を訪問 |
1887年 |
シヨン城保存協会が設立 |
1897年 |
シヨン城の修復作業 |
1920年 |
スイスが国連に加盟 |
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45分という短いフリータイムでしたが、当初予定に入ってなかった城内を見学出来て満足です。最後にシヨン城の遠景をカメラにおさめてバスに乗り込みます。

シヨン城の外観 |
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