スイス旅行記


ハプスブルク城でランチ


「ロッシーニ/歌劇ウィリアム・テル序曲「スイス軍隊の行進」」
 
 料理が出てくるまでの間、ちょっとの時間ですが駆け足で城内を見学します。城内の一部は小さな博物館になっています。ここに創建時の城の模型が置かれています。現存している部分は、下で紹介している模型写真の右側部分です。いま私がいる博物館は右端の塔の中にあります。その左側の建物がレストランになっています。
 
ハプスブルク城の展示室
ハプスブルク城の展示室
ハプスブルク城の模型
ハプスブルク城の模型
 
 博物館の壁にはハプスブルク家の歴史や獲得した領土に関する資料が架けられています。
 
 1273年、ハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝に即位します。神聖ローマ帝国は、現在のドイツを中心にオーストリアやスイスを含む緩やかな連邦国家でした。1282年にルドルフ1世はウィーンに居城を移します。
 
城からの眺め
城からの眺め
ハプスブルク家の領土 →
ハプスブルク家の領土
 
 その後、15世紀後半のマクシミリアン1世の時代にオランダ、ベルギーを獲得します。16世紀前半のカール5世の時代にはスペイン、イタリア南部、チェコ、スロバキア、ハンガリーを獲得し、さらに海を越えて南米大陸やフィリピン諸島まで領土を拡大します。彼らの領土は、どこかで常に太陽がのぼっていることから「太陽が沈むことのない世界帝国」と呼ばれました。
 
 ハプスブルク家の歴史については、 2015年9月の中欧旅行記 で紹介しているので、興味のある方はご覧ください。
 
マクシミリアン1世とカール5世
マクシミリアン1世(左)とカール5世(右)
 一方のスイスでは、強大になっていくハプスブルク家を警戒して1291年8月1日にウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3州が同盟を結びます。この8月1日はスイスの建国記念日になっています。
 
 ウィリアム・テルの物語で、彼は息子の頭の上に乗せたリンゴを矢で射抜き、悪代官ゲスラーを退治しますが、このゲスラーはハプスブルク家の代官でした。
 
 スイス同盟軍はハプスブルク家の軍勢を数回に渡って撃退し、ハプスブルク家はスイスの領土を喪失してしまいました。その後も同盟に参加する州は増えていき、14世紀半ばに8州、15世紀初頭には13州になりました。現在のスイスは26州で構成されています。
 
 スイスの軍隊はとても強く、ヨーロッパ各地で傭兵として活躍しました。18世紀のハプスブルク家のマリア・テレジア女帝の時代にウィーンの王宮を守護したのはスイス人衛兵でした。フランス革命最中の1792年にパリのチュイルリー宮殿に押し寄せてきた群衆から国王ルイ16世とマリー・アントワネットを守ったのもスイス人衛兵でした。バチカン市国は、1506年から現在に至るまでスイス人衛兵が守護しています。
 
 
 見学して席に戻ると、ちょうど料理が運ばれてきました。前菜は「卵とナッツのリーフサラダ」です。せっかくなので、地ビールも注文します。
 
ハプスブルク城の地ビール
卵とナッツのリーフサラダ
卵とナッツのリーフサラダ
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 前菜に続いて運ばれてきたのは、メインの「マッシュルームソース掛けミートボールのパイ包み」です。パイ生地の中には、ミートボールやマッシュルームが一杯詰まっていてボリューム満点です。最後のデザートは「アップルサイダークリームのバニラアイス添え」です。
 
マッシュルームソース掛けミートボールのパイ包み
ミートボールのパイ包み
アップルサイダークリームのバニラアイス添え
アップルサイダークリームのアイス添え
 
 私は他のツアーメンバーより、早めに食事を済ませます。一足先に外に出たら、駆け足でハプスブルク城の全景を撮影して、再び駆け足でバスに向かいます。
 
ハプスブルク城の全景
ハプスブルク城の全景