スイス旅行記
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ジュネーブ散策
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モルジュの散策を終えたら、バスに乗って11時に出発します。モルジュから1時間近く走って12時にジュネーブに到着です。ジュネーブ観光の前にレストランでランチタイムです。本日のメインは魚料理です。
レストラン
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メインの魚料理 |
1時間のランチタイムを終えたらバスに乗ってジュネーブの中心地に向かいます。イギリス公園の前でバスをおりたところには花時計があります。花時計は毎年いろいろな花が植えられてデザインが変わるそうです。
花時計
スイス連邦加盟の記念碑 →
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花時計の近くには「スイス連邦加盟の記念碑」が立っています。スイスの建国は、1291年8月1日にウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3州が同盟を締結したことが起源になっていますが、ジュネーブがスイスに加盟したのは1815年です。現在のスイスは26州で構成されていますが、25番目の加盟です。
1789年のフランス革命後、ナポレオンが台頭してヨーロッパを席巻します。スイスもフランスに併合されて多くの兵士が徴兵されました。そのナポレオンは、ロシア遠征に失敗して1814年4月に皇帝を退位します。ヨーロッパの列強はオーストリアの首都ウィーンに集まってウィーン会議を開催し、この会議の中でジュネーブがスイスに加盟することが取り決められました。
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レマン湖とモンブラン橋
← ジェット噴水 |
続いては、ジュネーブ名物になっているレマン湖のジェット噴水を見ながらモンブラン橋を渡ります。ジェット噴水は、毎秒500リットルの水が140メートルの高さまで噴き上げられています。
モンブラン橋を渡った所は船着き場になっていて、レマン湖を巡る遊覧船に乗ることができます。私たちはレマン湖に沿ってのびるモンブラン湖岸通りを歩きます。船着き場から少し歩いたところには、ボーリヴァージュという有名なホテルがあります。「美しい湖畔」という意味で、1865年に創業しました。
船着き場
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ホテル、ボーリヴァージュ |
このホテルは多くの王侯貴族が利用しました。宿泊客の中にはオーストリアのエリザベート皇后もいました。このホテルの向かい側の広場に彼女の銅像が立っています。
1898年の8月から9月にかけて、エリザベート皇后はレマン湖畔に滞在していました。9月9日、女官とお忍びでジュネーブにやってきたエリザベート皇后は孫たちへのお土産を買い、その日はボーリヴァージュに宿泊しました。
エリザベート皇后
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翌9月10日、13時40分発の船に乗船予定だった彼女は、ぎりぎりの時間までホテルのバルコニーでミルクを飲んでいました。女官に急かされて13時35分にホテルを出た彼女は、小走りでモンブラン湖岸通りを船着き場に向かいます。
その途中、1人の男がすれ違いざまに彼女にぶつかり、彼女は転んでしまいます。
通りかかった人たちに助け起こされた彼女は、そのまま船に乗り込みます。しかし、乗船直後に彼女の顔は青ざめていき、女官に胸の痛みを訴えながら崩れ落ちました。
エリザベート皇后は乗船前に男とぶつかった際、男が手にしていた凶器で胸を刺されていました。彼女を貫いた凶器は心臓に達していましたが、傷口が小さかったため彼女自身は刺されたことに気付かず、心停止まで時間がかかりました。彼女を刺した犯人は、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニという人物でした。逮捕後、彼は「王族なら誰でも良かった」と語ったそうです。
エリザベート皇后は急ごしらえの担架に乗せられてボーリヴァージュに搬送されましたが、14時40分に息を引き取りました。享年60歳でした。
モンブラン湖岸通り
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エリザベート皇后の暗殺現場 |
エリザベート皇后の暗殺現場には、プレートが設置されています。プレートには「1898年9月10日」と刻まれています。今日は2016年9月11日なので、118年前の昨日の出来事でした。
約1時間のジュネーブ散策の後はバスに乗って空港に向かいます。バスに乗って少し進んだところで、国連ヨーロッパ本部の建物が見えました。
国連ヨーロッパ本部
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通りを挟んで国連ヨーロッパ本部の向かい側の広場には巨大なイスのモニュメントが置かれています。
壊れたイスのモニュメント |
イスのモニュメントは木製で、4本の脚のうち1本が折れています。これは地雷やクラスター爆弾への抗議の意味を持っているそうです。
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