トルコ旅行記(エフェソス(エフェス))


アルテミス神殿の跡


 エフェソスの遺跡からバスで数分の距離にもう一つ遺跡があります。アルテミス神殿の跡です。
 
 現在は柱が1本立っているだけの寂しい遺跡です。かつては、127本の円柱が並び、19メートルの高さを誇る、アテネのパルテノン神殿よりも大きな神殿だったそうです。世界七不思議の1つにもあげられています。
 
アルテミス神殿の跡
アルテミス神殿の跡
 
 紀元前6世紀頃につくられたこの神殿は、125年にゴート族に破壊されてしまいます。以後、ここにあった石材は各地の神殿やモスクの材料として持ち去られてしまいます。イスタンブールのアヤ・ソフィアにも利用されたそうです。
 
 柱の左の山の麓にある建物は1375年に建設されたイーサーベイ・ジャーミーです。
 
 その右上にあるのは聖ヨハネ教会です。キリストの死後、エルサレムを追われた12使徒の一人のヨハネは、聖母マリアと一緒にここで晩年を過ごしました。ここにはヨハネの墓があり、6世紀にユスティニアヌス帝の命で教会が建設されました。
 
 聖ヨハネ教会の左上(イーサーベイ・ジャーミーの上)にあるのは6世紀頃に建設されたビザンティン帝国の城塞です。
 
 
 アルテミス神は、豊穣や多産の神として、エフェソスの人々に長い間信仰されてきました。エフェソスでは、アルテミス神の像が数多く出土しています。
 
オーストリアの首都ウィーンのエフェソス博物館に飾られているアルテミス像
アルテミス像
 現在、エフェソスの発掘調査はオーストリアの考古学者が行っています。そのため、出土品の多くはオーストリアの首都ウィーンにあるエフェソス博物館に展示されています。
 
 右の写真はウィーンのエフェソス博物館にあるアルテミス像です。
 
 その他にも、ローマ帝国がパルティア王国に勝利したことを記念してつくられたレリーフなども展示されています。オーストリア旅行記のエフェソス博物館 のコーナーで少し紹介しているので、興味のある人は立ち寄ってみてください。
 
 しばらく景色を眺めてから再びバスに乗ります。今夜、泊まるホテルのあるクシャダスに向かいます。