トルコ旅行記(イスタンブール)


軍事博物館


 いよいよトルコで過ごす最後の日です。10時30分にはホテルを出発するので、あまり時間はありませんが、もう1ヶ所だけ観光したいと思います。
 
 少し急いで朝食を済ませると、ホテルのフロントでタクシーを手配してもらいます。すぐにやってきたタクシーに乗り込みます。行き先は軍事博物館です。
 
軍事博物館
軍事博物館
 軍事博物館は、1993年にオープンした比較的新しい博物館です。ここにはヨーロッパ中を震え上がらせたオスマン帝国が使用した武器や数々の戦争を描いた絵画が展示されています。
 
 ちょうど博物館が開館する9時に到着です。荷物検査を済ませて入場します。他に客はいません。どうやら一番乗りのようです。館内にはまだ掃除をしたり、部屋の照明をつけてまわっている人たちがいます。
 
 入ってすぐのところにはオルハン・ガーズィの兜が展示されています。オルハンは初代オスマンの跡を継ぐと、ブルサをはじめアナトリア一帯を征服し、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル間近まで領土を拡大しました。
 
トルコ兵
トルコ兵
オルハン・ガーズィの兜
オルハン・ガーズィの兜
 
 
 1453年、メフメット2世は10万を超える大軍でコンスタンティノープルを包囲します。コンスタンティノープルは、陸上は3重の城壁に守られ、海上はトルコ艦隊の侵入を阻止するために金角湾への入口に鎖が張られていました。
 
 ここにはその鎖の一部が展示されています。
 
金角湾を封鎖した鎖
金角湾を封鎖した鎖
山越えするトルコ艦隊
山越えするトルコ艦隊
 
 わずか7000人ほどのビザンティン帝国の軍勢は激しく抵抗しました。オスマン軍は3重の城壁を突破することができず、金角湾に侵入することもできませんでした。力攻めで城壁を突破することは難しいと考えたメフメット2世は奇策を用います。それは、トルコ艦隊を陸上に引き上げて、鎖が張られた所を迂回してから金角湾に侵入するという作戦でした。
 
コンスタンティノープルに入城するメフメット2世
メフメット2世
 2ヶ月間に及ぶ攻防の末、ついにメフメット2世はコンスタンティノープルを攻略します。ビザンティン帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世は町に雪崩れ込んできたオスマン軍との乱戦で命を落としたと伝えられています。
 
 こうして、1000年以上にわたって続いたビザンティン帝国は滅亡しました。
 
 右の写真はコンスタンティノープルに入場するメフメット2世です。
 
 コンスタンティノープルはオスマン帝国の新たな首都となり、やがてイスタンブールと呼ばれます。そして、メフメット2世は人々から「ファーティフ(征服者)」と呼ばれました。