ビザンティン帝国


コンスタンティヌス1世(270?〜337)


 ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、アジア大陸にまたがる広大な領土を征服したローマ帝国は、284年に即位したディオクレティアヌス帝の時代に4分割されます。
 
 しかし、305年にディオクレティアヌス帝が引退すると、それぞれの領土の支配者が争いをはじめます。
 
コンスタンティヌス帝
コンスタンティヌス帝
 312年、そのうちの一人コンスタンティヌスは、ライバルのマクセンティウスを「ミルウィウス橋の戦い」で破ります。この戦いの直前、コンスタンティヌスは空に現れた十字架を見て勝利を確信したと伝えられています。
 
 翌313年、十字架のおかげで勝利できたと信じたコンスタンティヌスは、「ミラノ勅令」を発布して、それまで迫害されていたキリスト教を公認します。
 
 323年、コンスタンティヌスは最後のライバル、リキニウスをエディルネで討ち、ローマ帝国を再統一します。
 
 330年、コンスタンティヌス帝はローマ帝国の首都をローマからビザンティオン(現在のイスタンブール)に遷します。この町は当初、「新ローマ」と呼ばれましたが、やがて「コンスタンティノープル(コンスタンティヌスの都)」と呼ばれるようになりました。
 

BC7世紀 ギリシャ人がビザンティオンを建設
284年 ディオクレティアヌス帝、ローマ帝国を4分割
305年 ディオクレティアヌス帝が隠居
312年 ヴァチカン博物館に描かれている「ミルウィウス橋の戦い」コンスタンティヌス帝、ミルウィウス橋の戦いでマクセンティウスを撃破
(写真はヴァチカン博物館に描かれている「ミルウィウス橋の戦い」
313年 イタリアのミラノに建つドゥオモコンスタンティヌス帝、「ミラノ勅令」でキリスト教を公認
(写真はイタリアのミラノに建つドゥオモ
323年 コンスタンティヌス帝、リキニウスを討ち、ローマ帝国を統一
330年 コンスタンティヌス帝、ビザンティオンに遷都し、町はコンスタンティノープルと呼ばれる
337年 コンスタンティヌス帝、死去。
378年 イスタンブールに残るヴァレンス水道橋ヴァレンス水道橋が完成
(写真はイスタンブールに残るヴァレンス水道橋
395年 ローマ帝国が東西に分裂
413年 イスタンブールに残るテオドシウスの城壁皇帝テオドシウス2世、コンスタンティノープルを囲む城壁を建設
(写真はイスタンブールに残るテオドシウスの城壁跡
476年 西ローマ帝国滅亡