ビザンティン帝国


ユスティニアヌス1世(482〜565)


 395年、ローマ帝国は東西に分裂します。そして、西ローマ帝国は西ゴート族やヴァンダル族に蹂躙された後、476年に滅びます。
 
 527年に即位したユスティニアヌス帝は「不眠不休の皇帝」と呼ばれ、「ユスティニアヌス法典」を編纂するなど、精力的に帝国の統治にあたりました。
 
ユスティニアヌス帝
ユスティニアヌス帝
 532年、コンスタンティノープルで「ニカ(勝利)の反乱」と呼ばれる市民蜂起がおこり、重要な建造物が次々と焼かれてしまいます。ビザンティン帝国を象徴する聖ソフィアも焼失しました。
 
 動揺したユスティニアヌス帝は逃亡を企てますが、皇后テオドラに「逃亡よりも名誉ある死を」と説得されると、ベリサリウス将軍を派遣して反乱の鎮圧にあたります。
 
 反乱の鎮圧後、ユスティニアヌス帝はすぐに聖ソフィアの再建に取り掛かります。537年に完成した聖ソフィアは当時の建築レベルをはるかに上回るものでした。落成式のとき、皇帝は「ソロモンよ、我は汝に勝てり」と叫んだと伝えられています。
 
 一方で、ユスティニアヌス帝は、ベリサリウス将軍やナルセス将軍を西方に派遣して、ヴァンダル族や西ゴート族を討伐し、ローマをはじめとするイタリア半島の領土を回復しました。
 

 ユスティニアヌス帝の没後、ビザンティン帝国も徐々に衰退していきます。1204年には第四次十字軍によってコンスタンティノープルを占領されてしまいます。生き残った人々が1261年に都を奪回して、かろうじて帝国を再建しますが、その頃東方ではトルコ民族が力を蓄えていました。
 
 1453年、オスマン帝国によってコンスタンティノープルは包囲され、2ヶ月間にわたる攻防の末に陥落します。こうして1000年の歴史をもつビザンティン帝国は滅亡しました。
 

527年 ユスティニアヌス、東ローマ帝国の皇帝に即位
532年 「ニカの反乱」により、聖ソフィア大聖堂が焼失
533年 ベリサリウス将軍、カルタゴを征服
536年 ベリサリウス将軍、ローマを征服
537年 ユスティニアヌス帝によって再建された聖ソフィアユスティニアヌス帝、聖ソフィア大聖堂を再建
(写真はユスティニアヌス帝によって再建された聖ソフィア
565年 ユスティニアヌス帝、死去
800年 パリに立つカール大帝の騎馬像カール大帝がローマ教皇から帝冠を授かり、西ローマ帝国の皇帝に即位(写真はパリに立つカール大帝の騎馬像
962年 ウィーンの王宮宝物館に展示されている神聖ローマ皇帝の冠オットー1世、ローマ教皇から帝冠を授かり、神聖ローマ帝国誕生
(写真はウィーンの王宮宝物館に展示されている神聖ローマ皇帝の冠)
1204年 第四次十字軍がコンスタンティノープルを占領
1261年 ビザンティン帝国がコンスタンティノープルを奪回
1270年 パリのルーブル美術館に飾られているエル・グレコの描いたルイ9世フランス王ルイ9世、第八次十字軍の遠征中、チュニスで死去
(写真はパリのルーヴル美術館に飾られているエル・グレコが描いたルイ9世の肖像画)
1273年 ウィーンの王宮家具博物館に飾られている神聖ローマ皇帝ルドルフ1世の騎馬像ハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝に即位
(写真はウィーンの王宮家具博物館に飾られているハプスブルク家のルドルフ1世の騎馬像
1299年 オスマン1世が即位してオスマン朝トルコ誕生
1453年 オスマン帝国のメフメット2世がコンスタンティノープルを攻略。ビザンティン帝国滅亡