イギリス旅行記(ロンドン)


テート・ブリテン


 ヴィクトリア・タワー・ガーデンズを抜けてさらに進むとギリシャ風のテート・ブリテンがあります。
 
テート・ブリテン
テート・ブリテン
 1897年、砂糖貿易で財を成したヘンリー・テートが自身のコレクションと美術館の建設資金を寄贈したのを機に、この場所にテート・ギャラリーが建設されました。
 
 その後もコレクションは増え続け、2000年に分館が造られました。その分館が昨日訪れたミレニアム・ブリッジの前に建つテート・モダンです。
 
 そして、もともとここにあったテート・ギャラリーはテート・ブリテンと名を変えました。ここには16世紀以降のイギリス絵画が展示されています。
 
 テート・ブリテンの内部は写真撮影が禁止されているので、ショップで購入した絵ハガキを使って作品を紹介します。
 
 まずは、ジョン・シングルトン・コプリー(1738〜1815年)が1783年に描いた「ピアソン少佐の戦死(1783年)」という歴史画です。

 
ピアソン少佐の戦死(ジョン・シングルトン・コプリー)
ピアソン少佐の戦死(コプリー)
 1781年1月、フランス軍はフランス沖の島にあるイギリス軍の要塞ジャージーに攻め込みます。
 
 イギリス軍はフランス軍の撃退に成功しましたが、要塞を守っていたピアソン少佐は戦死しました。
 

 続いては19世紀のイギリスを代表する画家ウィリアム・ターナー(1775〜1851年)の作品です。ターナーの「作品を1ヶ所にまとめて展示しほしい」という遺言が叶えられて、このテート・ブリテンには彼の作品が多く展示されています。
 
 テート・ブリテンには1799年に描かれたターナーの自画像が展示されています。彼が24歳のときに描いた作品です。もう1つの作品は、70歳になったターナーが描いた「ノラム城、日の出(1845年)」は、イングランド北部のトゥイード河畔に建つノラム城が舞台になっています。
 
自画像(ウィリアム・ターナー)
ノラム城(ウィリアム・ターナー)
ノラム城、日の出(ターナー)
← 自画像(ターナー)
 
 1775年、ターナーはロンドンの理髪師の家庭に生まれました。10歳の頃には絵の才能が開花し、14歳でロイヤル・アカデミー美術学校に入学します。そして、27歳の若さで英国ロイヤル・アカデミーの正会員に選ばれました。
 
 彼はその後も多くの作品を描き続けましたが、71歳のときに「退役軍人のブース」と名乗って愛人ソフィア・ブースとロンドン南西のチェルシーで隠遁生活を送り、76歳で亡くなりました。
 

 
 続いては、シェークスピアの「ハムレット」の一場面を描いた作品「オフィーリア(1851〜1852年)」です。ラファエル前派を代表する画家ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829〜1896年)が、1852年のロイヤル・アカデミー展に出品した作品です。
 
オフィーリア(ジョン・エヴァレット・ミレイ)
オフィーリア(ミレイ)
 物語の中で、父王を王弟に暗殺された王子ハムレットは仇をとろうとして、誤って宰相を殺害してしまいます。
 
 宰相の娘であり、王子ハムレットの恋人だったオフィーリアはショックで正気を失ってしまいます。この作品はオフィーリアが小川で足をすべらせて溺死する場面を描いています。
 
 続いては、ミレイと同じくラファエル前派に属していたダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828〜1882年)が描いた「プロセルピナ(1874年)です。ユピテル神と豊穣の女神ケレスの娘プロセルピナは冥界のザクロを口にしたために半年を冥界で、残り半年を地上で暮らすことになりました。
 
プロセルピナ(ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ)
カーネーション、ユリ、ユリ、バラ(ジョン・シンガー・サージェント)
カーネーション、ユリ、ユリ、バラ
(サージェント)
← プロセルピナ(ロセッティ)
 
 最後に紹介する「カーネーション、ユリ、ユリ、バラ(1885〜1886年)」イギリスで活躍したアメリカ出身の画家サージェント(1856〜1925年)の作品です。1862年のロンドン万博以降、イギリスには日本の文化が広まりました。サージェントはテムズ川で舟遊びの最中に河原の木々の間にかかっていた提灯を見て、この作品の着想を得たそうです。
 
 テイト・ブリテンの作品を1時間ほど鑑賞したところで時間切れです。テイト・ブリテンを後にして集合場所のピカデリー・サーカスに向かいます。
 
 ここから地下鉄とバスを乗り継いでホテルまで戻り、チェックアウトを済ませます。スーツケースを持ってバスに乗り込み、ヒースロー空港に向かいます。17時過ぎに空港に到着、搭乗手続きを済ませてから軽く食事をしたり買い物をして時間をつぶします。
 
 飛行機は19時35分に離陸して11時間45分のフライトの後、日本時間で翌27日15時20分に成田空港に到着しました。