イギリスの歴史


エリザベス女王(1558〜1603)


 1558年、エリザベス1世が即位します。彼女はヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブーリンの娘です。
 
エリザベス1世(イギリス、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリー)
エリザベス1世
 アン・ブーリンはエリザベスが2歳のときにロンドン塔で処刑され、以来、エリザベスは不遇な日々を送っていました。
 
 エドワード6世の跡を継いだ異母姉メアリー1世は、母キャサリンと自分が冷遇される原因となったアン・ブーリンとエリザベス母子を恨んでいました。
 
 メアリー1世のカトリック化政策に不満を持つ人々が反乱を起こすと、彼女はエリザベスが反乱に関与していると疑惑を抱き、ロンドン塔に幽閉しました。
 
 しかし、エリザベスが反乱に関与したという証拠は見つからず、1558年に女王メアリー1世が子を残さないまま亡くなったため、妹のエリザベスに王位が回ってきました。
 
 即位したエリザベスは、姉メアリー1世が進めていたカトリック政策を白紙に戻し、イングランド国教会を復活させました。
 
メアリー・スチュアート(イギリス、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリー)
メアリー・スチュアート
 エリザベスの最大のライバルとなったのがスコットランド女王メアリー・スチュアートです。彼女はヘンリー8世の姉の孫にあたります。
 
 1567年にスコットランドで反乱がおこり、翌1568年にメアリーがイングランドに亡命してくると、エリザベスのイングランド国教会復活に不満を持つカトリック教徒たちはメアリーを担ぎ出そうと画策します。
 
 エリザベスは20年近くメアリー・スチュアートの処置について悩みましたが、議会に押し切られる形で1587年にメアリーを処刑しました。
 
 翌1588年、メアリーを後押ししてイングランドにカトリックを復活させようと目論んでいたスペインのフェリペ2世はイングランドに大艦隊を派遣します。これに対してエリザベスは海賊ドレイクたちを起用してイギリス艦隊を編成し、アルマダの海戦で勝利をおさめました。以後、イギリスはスペインに代わって七つの海の支配に乗り出していきます。
 
1558年 フランス、パリのリュクサンブール宮殿に飾られているメアリー・スチュアートの像メアリー・スチュアート、フランス王フランソワ2世と結婚
(写真はフランス、パリのリュクサンブール宮殿に飾られているメアリー・スチュアートの像)
11月、エリザベス1世、イングランド女王に即位
1560年 フランス王フランソワ2世、死去
1561年 メアリー・スチュアート、スコットランドに帰国
1565年 メアリー・スチュアート、ダーンリー卿と再婚
1566年 3月、ダーンリー卿が殺害される
6月、メアリー・スチュアートがジェームズ(後のイングランド王ジェームズ1世)を出産
1567年 メアリー・スチュアートがスコットランド女王を退位させられ、息子ジェームズがスコットランド王に即位(ジェームズ6世)
1568年 メアリー・スチュアート、イングランドに亡命
オランダのデン・ハーグに立つ独立戦争の指導者ウィレム公の像オランダ独立戦争がはじまり、イギリスはこれを支援(〜1648年)
(写真はオランダのデン・ハーグに立つ独立戦争の指導者ウィレム公の像
1580年 スペイン王フェリペ2世、ポルトガルを併合
1587年 エリザベス1世、メアリー・スチュアートを処刑
1588年 「アルマダの海戦」でイギリス艦隊がスペイン艦隊に勝利
1598年 スペイン王フェリペ2世、死去
1603年 エリザベス1世、死去。