オーストリア旅行記(ウィーン)


シェーンブルン庭園


 丘の上に建つグロリエッテに向かいます。
 
 1740〜1748年のオーストリア継承戦争で、オーストリアはシュレージエン地方(現在のポーランド領)をプロイセンに奪われてしまいます。
 
 マリア・テレジア女帝はプロイセン王フリードリヒ2世を「シュレージエン泥棒」と罵り、ロシア、フランスと同盟を結んでプロイセンに戦いを挑みます。七年戦争(1756〜1762)のはじまりです。
 
 1757年、レオポルト・ダウン将軍の率いるオーストリア軍は「コリンの戦い」で、プロイセン軍にはじめて勝利をおさめます。グロリエッテは、この勝利を記念して1775年に建設されました。
 
グロリエッテ
グロリエッテ
グロリエッテからの眺め
グロリエッテからの眺め
 
 しばらくグロリエッテからの眺めを楽しんでから、丘を下ります。
 
 ハプスブルク家の栄華を象徴するシェーンブルン宮殿では、さまざまなドラマが繰り広げられました。
 
菩提樹のアーチ
菩提樹のアーチ
 1762年にはマリア・テレジア女帝と娘マリー・アントワネットの前でわずか6歳のモーツァルトが御前演奏を行いました。
 
 1805年と1809年の2度に渡ってウィーンを占領したフランス皇帝ナポレオンはシェーンブルン宮殿を自らの居城としました。
 
 ナポレオンの失脚後、「会議は踊る、されど進まず」の言葉で有名な、ヨーロッパ中の王侯貴族が集まったウィーン会議の舞台にもなりました。
 
シェーンブルン宮殿
 
 ハプスブルク王朝終焉の舞台となったのも、この宮殿でした。
 
 1918年11月11日、第一次世界大戦に敗北したハプスブルク家最後の皇帝カール1世は、この宮殿の1室で退位文書に署名します。
 
 ハプスブルク一族はウィーンを去り、650年に渡って続いたハプスブルク王朝は幕を閉じました。