ハプスブルク王朝


ヨーゼフ1世(1678〜1711)と
カール6世(1685〜1740)


 1700年、ハプスブルク家最後のスペイン王カルロス2世が亡くなります。彼は世継ぎを残さなかったため、スペインとその広大な植民地を巡ってオーストリアとフランスが対立し、スペイン継承戦争がはじまります。
 

ヨーゼフ1世
ヨーゼフ1世
カール6世
カール6世
 
 
 次期スペイン王の候補だった皇帝ヨーゼフ1世の弟カール大公は、イギリス、オランダの支援やオイゲン公の活躍で優勢に戦いを進めます。
 
 ところが、1711年にヨーゼフ1世が後継者を残さないまま33歳の若さで亡くなります。カール大公はスペインの王冠をあきらめて、カール6世として神聖ローマ帝国の皇帝に即位しました。
 
 カール6世はスペインを継承できなかったものの、スペイン系ハプスブルクに属していたネーデルランドやイタリアをオーストリアの領土とすることに成功します。彼の時代にオーストリア系ハプスブルクの領土は最大となりました。
 

1700年 スペイン王カルロス2世、死去。世継ぎがなくスペイン系ハプスブルク終焉
1701年 フランスとオーストリアの間で、スペイン王の座を巡ってスペイン継承戦争はじまる
1705年 レオポルト1世、死去。ヨーゼフ1世、神聖ローマ帝国の皇帝に即位
1711年 ウィーンの国立図書館に立つカール6世の像ヨーゼフ1世、死去。カール6世、神聖ローマ帝国の皇帝に即位
(写真はウィーンの国立図書館に立つカール6世の像)
1713年 ヴェルサイユ宮殿に飾られているスペイン王フェリペ5世(フランス王ルイ14世の孫)の肖像画スペイン継承戦争終結、ユトレヒト条約によりルイ14世の孫フェリペ5世がスペイン王に即位。ネーデルランドはオーストリア系ハプスブルク家が獲得
(写真はフランスのヴェルサイユ宮殿に飾られているスペイン王フェリペ5世の肖像画
1716年 ウィーンのカールス教会カール6世、ペスト終焉を記念してウィーンにカールス教会の建設を開始
(写真はウィーンのカールス教会
1717年 オイゲン公、ベオグラードを攻略
マリア・テレジア誕生
1724年 カール6世、「国事詔書」を発布して女性が家督を相続できることを公示
1736年 マリア・テレジア、ロートリンゲン公フランツ・シュテファンと結婚
オイゲン公の墓があるシュテファン寺院の「十字架の礼拝堂」オイゲン公、死去
(写真はオイゲン公の墓があるウィーンのシュテファン寺院の「十字架の礼拝堂」)
1740年 カール6世、死去