ハプスブルク王朝


マリア・テレジア(1717〜1780)


 マリア・テレジアはハプスブルク家で唯一の女性君主です。父カール6世に男子の後継ぎがいなかったために、彼女がハプスブルク家の領土を相続しました。
 

フランツ・シュテファン皇帝
フランツ・シュテファン
マリア・テレジア女帝
マリア・テレジア
 
 
 マリア・テレジアは、彼女の即位を認めようとしないプロイセンやバイエルンとのオーストリア継承戦争、それに続く七年戦争を見事に戦い抜き、広大な領土を守り抜きました。
 
 彼女は、家柄にこだわらず優秀な人材を登用して義務教育の導入、医療制度の改善、税制の見直しなど次々と国内改革を行い、オーストリアの近代化に努めました。また、300年近くにわたってライバル関係にあったフランスと友好関係を築き、末娘のマリー・アントワネットをフランスに嫁がせました。
 

1717年 マリア・テレジア、誕生
1724年 カール6世、「国事詔書」を発布し女性が家督を相続できることを宣言
1736年 マリア・テレジア、ロートリンゲン公フランツ・シュテファンと結婚
1740年 マリア・テレジア広場に立つマリア・テレジアの像カール6世、死去。マリア・テレジア、ハプスブルク家を相続
(写真はウィーンのマリア・テレジア広場に立つマリア・テレジアの像)
プロイセン王フリードリヒ2世、シュレージエンを占領。オーストリア継承戦争はじまる(〜1748年)
1741年 ヨーゼフ2世、誕生
ブダペストにあるマリア・テレジアの像マリア・テレジア、ハンガリー女王に即位
(写真はハンガリーのブダペストにあるマリア・テレジアの像
1742年 バイエルン王カール・アルベルト、カール7世として神聖ローマ帝国の皇帝に即位
1743年 マリア・テレジア、ボヘミア女王に即位
ハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿マリア・テレジア、シェーンブルン宮殿の改築をはじめる
(写真はウィーンに建つハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿
1745年 カール7世、死去。マリア・テレジアの夫フランツ・シュテファンが神聖ローマ帝国の皇帝に即位(フランツ1世)
1747年 レオポルト2世、誕生
1755年 マリア・アントニア(フランス名マリー・アントワネット)、誕生
1756年 ハプスブルク家、ロシア、フランスと同盟を締結
七年戦争はじまる
1757年 マリア・テレジア広場に立つダウン将軍騎馬像オーストリアのレオポルト・フォン・ダウン将軍、コリンの戦いでプロイセン軍を破る
(写真はウィーンのマリア・テレジア広場に立つダウン将軍の騎馬像)
1760年 オーストリアとロシアの連合軍、プロイセンの首都ベルリンを攻略
1762年 ロシアのエリザベータ女帝ロシアのエリザベータ女帝、死去。
(写真はロシアのエカテリーナ宮殿に飾られているエリザベータ女帝の肖像画)
「フベルトゥスブルクの和」により七年戦争終結
1765年 フランツ・シュテファン、死去。ヨーゼフ2世が神聖ローマ帝国の皇帝に即位
1770年 ヴェルサイユ宮殿に飾られているマリー・アントワネットの肖像画マリー・アントワネット、フランスのルイ16世と結婚
(写真はフランスのヴェルサイユ宮殿に飾られているマリー・アントワネットの肖像画)
1772年 第一次ポーランド分割
1774年 フランス王ルイ15世、死去。ルイ16世がフランス王に即位し、マリー・アントワネットはフランス王妃になる
1780年 マリア・テレジア、死去