ハプスブルク王朝


マクシミリアン1世(1459〜1519)


 ハプスブルク家中興の祖とされるマクシミリアン1世は、騎士道精神に溢れ、武勇に秀でていたことから「中世最後の騎士」と謳われた人物です。
 

マクシミリアン1世
マクシミリアン1世
マリア公女
マリア公女
 
 
 1477年、マクシミリアン1世はネーデルラントを統治するブルゴーニュ公国のマリア公女と結婚します。この結婚によってハプスブルク家はネーデルラントを領土に加えることに成功し、当時ヨーロッパで最も華やかだったブルゴーニュ公国の文化がウィーンの宮廷に導入されました。
 
 マクシミリアン1世は、ヨーロッパの王室と政略結婚を推し進め、息子フィリップ美公をスペイン王室とファナ王女と結婚させます。オーストリアの東方に対しては、孫のフェルディナント1世をハンガリー・ボヘミア王室のアンナ王女と結婚させます。
 
 この結婚政策は大成功をおさめ、マクシミリアン1世の孫にあたるカール5世とフェルディナント1世の時代にハプスブルク家はヨーロッパ最大の勢力へと成長します。
 
1459年 マクシミリアン1世、誕生
1477年 マクシミリアン1世とマリア公女が結婚式をあげたベルギー、ゲントの町並みマクシミリアン1世、ブルゴーニュ公国のマリア公女と結婚
(写真は2人が結婚式をあげたベルギー、ゲントの町並み
1478年 マクシミリアン1世、ギネガテの戦いでルイ11世のフランス軍を破る
フィリップ美公(フェリペ1世)、誕生
1482年 マリア公女、死去
1486年 マクシミリアン1世、ローマ王に即位
1493年 父フリードリヒ3世、死去
マクシミリアン1世、王宮をウィーンからインスブルックに移す
1496年
フィリップ美公(フェリペ1世) スペインのファナ王女
フィリップ美公、スペインのファナ王女と結婚
(写真はフィリップ美公とファナ王女の肖像画)
1500年 フィリップ美公とファナの間にカール5世誕生
1503年 フィリップ美公とファナの間にフェルディナント1世誕生
1506年 フィリップ美公、スペインで客死
1508年 マクシミリアン1世、神聖ローマ帝国の皇帝に即位
1515年 フェルディナント1世、ボヘミア・ハンガリー王女アンナと婚約
1516年 カルロス1世の紋章が刻まれているスペインのトレドにあるビサグラ新門カール5世、スペイン王に即位(スペイン王カルロス1世)
(写真はスペイン、トレドにあるカルロス1世の紋章が刻まれたビサグラ新門
1517年 ドイツでマルティン・ルターによる宗教改革がはじまる
1519年 マクシミリアン1世、死去