ハプスブルク王朝


ルドルフ1世(1218〜1291)


 ルドルフ1世はハプスブルク家の始祖とされる人物です。
 
 962年にザクセン家のオットー1世がローマ教皇から戴冠されて神聖ローマ帝国が誕生します。神聖ローマ帝国は、現在のドイツを中心に、オーストリア、スイス、チェコ、イタリア北部などに及ぶ広大な帝国でした。
 
 1273年、スイスのアールガウ地方を治めるハプスブルク家のルドルフ1世は、帝国内の有力諸侯によってドイツ王に推挙されます。
 
ルドルフ1世の騎馬像 神聖ローマ皇帝の冠
神聖ローマ皇帝の冠
← ルドルフ1世
 
 
 1278年、ルドルフ1世の軍勢は、帝国でもっとも力を持っていたボヘミア王オタカル2世の軍勢をマルヒフェルトで破ります。
 
 1282年、ルドルフ1世は当時オスタリッチ(東の国)と呼ばれていたオーストリア一帯をハプスブルク家の領土とすることに成功し、本拠地をウィーンに移します。こうして、1918年まで続くハプスブルク王朝がはじまります。
 
962年 オットー1世、ローマ教皇から帝冠を授かり神聖ローマ帝国誕生
976年 バーベンベルク家の王宮があったウィーンのアム・ホーフ広場皇帝オットー2世、バーベンベルク家にオストマルク(オーストリアの起源)を統治させる
(写真はバーベンベルク家の王宮があったウィーンのアム・ホーフ広場
1246年 オタカル2世の本拠地プラハの町並みバーベンベルク家、世継ぎがなく滅亡。ボヘミア王オタカル2世がウィーンを占拠
(写真はオタカル2世の本拠地ボヘミア王国(現在のチェコ)の首都プラハの町並み)
1250年 シュタウフェン家出身の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が崩御し、皇帝不在の大空位時代が始まる
1273年 スイスのアールガウ地方に領土をもつハプスブルク家のルドルフ1世がドイツ王に即位し、大空位時代が終わる
1278年 ルドルフ1世、マルヒフェルトの戦いでオタカル2世を破る
1282年 ルドルフ1世、ウィーンに拠点を移し、ハプスブルク家のオーストリア統治が始まる
1291年 ルドルフ1世、死去。ナッサウ家のアドルフがドイツ王に即位
1298年 アドルフが廃位され、ルドルフ1世の子アルブレヒト1世がドイツ王に即位
1308年 アルブレヒト1世が暗殺され、ルクセンブルク家のハインリッヒ7世がドイツ王に即位
1328年 ヴィッテルスバッハ家のルートヴィヒ4世が神聖ローマ皇帝に即位
1355年 ウィーンの歴史博物館にあるカール4世の像ルクセンブルク家のカール4世(ボヘミア王カレル1世)が神聖ローマ皇帝に即位
(写真はウィーンの歴史博物館にあるカール4世の像)
1359年 ウィーンのシンボル・シュテファン寺院ハプスブルク家の建設公ルドルフ4世、シュテファン寺院の再建を開始
(写真はウィーンのシンボル・シュテファン寺院