ハンガリー王国


アールパード(?〜907)


 ヨーロッパとアジアの境界にあたるウラル山脈とボルガ川に挟まれた地域では、マジャール人(ハンガリー人)と呼ばれる遊牧騎馬民族が暮らしていました。彼らは周辺を侵略しながら徐々に西方に進出しました。西方では、476年に西ローマ帝国が滅んだ後、その広大な領土を巡ってさまざまな民族が争っていました。
 

アールパード
アールパード
 896年、族長アールパードに率いられたマジャール人は、パンノニアと呼ばれる地域に到達します。
 
 彼らは、さらに西方への進出を目論みますが、955年にアウグスブルクで、後に神聖ローマ帝国を興すオットー1世に敗北します。
 
 これを契機として、彼らはパンノニアに定住しました。そして、かつてローマ人が築いたアクインクムという町の跡にブダとペストの2つの町を建設しました。
 

476年 傭兵隊長オドアケルによって西ローマ皇帝ロムルスが退位に追い込まれ、西ローマ帝国滅亡
800年 ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に立つカール大帝の騎馬像フランク王国のカール大帝がローマ教皇から帝冠を授かり、西ローマ帝国復活(神聖ローマ帝国の母体)
(写真はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に立つカール大帝の騎馬像
896年 アールパードに率いられたマジャール人がパンノニアに到達
907年 アールパード、死去
954年 マジャール人、東フランク王国の領土に侵入
955年 マジャール人、アウグスブルクで東フランク王国のオットー1世に敗北
962年 ウィーンの王宮宝物館に展示されている神聖ローマ皇帝の冠オットー1世、ローマ教皇から帝冠を授かり、神聖ローマ帝国誕生
(写真はウィーンの王宮宝物館に展示されている神聖ローマ皇帝の冠)