ハンガリー王国


ラヨシュ1世(1326〜1382)


 1301年にアールパード朝が断絶すると、ハンガリー王は選挙で選ばれるようになります。
 

ラヨシュ1世
ラヨシュ1世
 1308年にハンガリー王に即位したカーロイ・ローベルト(1308〜1342年)はナポリ王国のアンジュー家の出身でした。カーロイ王はハンガリー貴族たちを抑え、王権を強化することに成功します。また、西隣で発展を遂げるハプスブルク家のウィーンに対抗するためにボヘミア(チェコ)やポーランドの国王をハンガリーに招いて首脳会議を開催しました。
 
 カーロイ王の跡を継いだラヨシュ1世は積極的に対外戦争を行い、領土を拡大しました。また、母親がポーランド王家に繋がることから1370年にはポーランド王も兼任し、広大な領土を統治しました。
 

1308年 アンジュー家のカーロイ・ローベルトがハンガリー王に即位
1335年 カーロイ・ローベルト、ボヘミア王、ポーランド王、ドイツの諸侯をハンガリーに招いて首脳会議を開催
1342年 カーロイ・ローベルト、死去。ラヨシュ1世がハンガリー王に即位
1355年 ウィーンの歴史博物館にあるカール4世の像ルクセンブルク家のカール4世(ボヘミア王カレル1世)が神聖ローマ帝国の皇帝に即位
(写真はウィーンの歴史博物館にあるカール4世の像)
1370年 ラヨシュ1世、ポーランド王に即位
1382年 ラヨシュ1世、死去
1387年 カール4世の子ジギスムントがハンガリー王に即位
1410年 ジギスムント、神聖ローマ帝国の皇帝に即位
1414年 プラハの旧市街広場に立つヤン・フス像プラハ大学の学長ヤン・フスがローマ教会を批判し、異端者として処刑される
(写真はプラハの旧市街に立つヤン・フス像)
1419年 ボヘミアでヤン・フスの信者が蜂起してフス戦争が勃発(〜1436年)
1438年 ジギスムント、死去。