ハンガリー王国


ラヨシュ2世(1506〜1526)と
フェルディナント1世(1503〜1564)


 マーチャーシュ王の死後、全盛期を迎えていたハンガリー王国の運命は一転します。ヤゲロー家のラヨシュ2世は、1526年にスレイマン大帝の率いるオスマン・トルコ軍にモハーチで大敗北を喫し、戦死してしまいます。
 

ラヨシュ2世
ラヨシュ2世
フェルディナント1世
フェルディナント1世
 ラヨシュ2世の王妃はハプスブルク家のフェルディナント1世の妹でした。また、フェルディナント1世の后はラヨシュ2世の姉でした。
 
 この相互結婚の関係から、フェルディナント1世がハンガリー王を名乗ります。
 
 1529年、オスマン軍はフェルディナント1世が統治するウィーンに侵攻します。しかし、頑丈な城壁に守られたウィーンはオスマン軍の攻撃を跳ね返しました。
 
 以後、ハプスブルク家とオスマン帝国はハンガリーを巡って熾烈な争いを繰り広げます。
 

1515年 ハプスブルク家のフェルディナント1世、ラヨシュ2世の姉アンナ王女と婚約
1516年 ラヨシュ2世、ハンガリー王に即位
1519年 ウィーンの造形美術アカデミー絵画館に飾られている皇帝カール5世の肖像画ハプスブルク家のカール5世が神聖ローマ帝国の皇帝に即位
(写真はウィーンの造形美術アカデミー絵画館に飾られている皇帝カール5世の肖像画
1520年 スレイマン一世、オスマン帝国のスルタンに即位
1521年 イスタンブールの軍事博物館に飾られているベオグラードの戦いを描いた絵画スレイマン1世、ベオグラードを攻略
(写真はイスタンブールの軍事博物館に飾られているベオグラードの戦いを描いた絵画
1526年 イスタンブールの軍事博物館に展示されているモハーチの戦いを描いた絵画ラヨシュ2世、モハーチの戦いでオスマン軍に敗れて戦死
(写真はイスタンブールの軍事博物館に展示されているモハーチの戦いを描いた絵画
1529年 オーストリアの首都ウィーンの町並みスレイマン1世の率いるオスマン軍が、フェルディナント1世が統治するウィーンを包囲(第一次ウィーン包囲)
(写真はオーストリアの首都ウィーンの町並み
1556年 フェルディナント1世、神聖ローマ帝国の皇帝に即位
1564年 フェルディナント1世、死去
1566年 オスマン帝国のスレイマン1世、ハンガリー遠征中に陣没