ハンガリー王国


レオポルト1世(1640〜1705)


 レオポルト1世の治世、ウィーンは再びオスマン・トルコの大軍に包囲されます。激しい攻防の末、将軍オイゲン公の采配とポーランドからの援軍によって、ハプスブルク家はオスマン軍を撃退します。
 

レオポルト1世
レオポルト1世
オイゲン公
オイゲン公
 
 
 これを機に反撃に転じたハプスブルク家は、オイゲン公の指揮のもと、オスマン軍に勝利を重ねます。
 
 1686年、ハプスブルク家はブダとペストからオスマン軍を追い払いハンガリーの大部分を攻略します。以後、ハンガリーの人々はオスマン帝国に代わり、ハプスブルク家の支配を受けることになります。
 

1655年 レオポルト1世、ハンガリー王に即位
1658年 レオポルト1世、神聖ローマ帝国の皇帝に即位
1683年 ウィーンの新王宮の前に立つオイゲン公騎馬像レオポルト1世、フランスからやってきたオイゲン公を将軍として迎える
(写真はウィーンの新王宮の前に立つオイゲン公騎馬像
ウィーンを包囲するオスマン・トルコ軍ハプスブルク家、ウィーンを包囲するオスマン軍を撃退(第二次ウィーン包囲)
(写真はウィーンの歴史博物館に飾られている第二次ウィーン包囲の絵画)
1686年 ブダの王宮に入城するハプスブルクの軍勢オイゲン公の率いるハプスブルク軍がオスマン・トルコ軍を破りハンガリーのブダ、ペストを攻略
(写真はハンガリーの王宮に飾られているブダの王宮に入城するハプスブルクの軍勢を描いた絵画)
1697年 オイゲン公の率いるハプスブルク軍、ゼンタの戦いでオスマン軍を破る
1699年 カルロヴィッツ条約により、ハプスブルク家がハンガリーなどの領土を獲得
1701年 ヴェルサイユ宮殿に立つフランス王ルイ14世の騎馬像ハプスブルク家とフランスのルイ14世がスペインを巡って対立し、スペイン継承戦争はじまる
(写真はフランスのヴェルサイユ宮殿に立つフランス王ルイ14世の騎馬像)
1703年 ラーコーツィ・フェレンツ2世を指導者として、ハプスブルク家に対する独立戦争が勃発(〜1711年)
1705年 レオポルト1世、死去。