ハンガリー王国


マリア・テレジア(1717〜1780)


 レオポルト1世の次男カーロイ3世(神聖ローマ皇帝カール6世)には王子がいなかったため、長女のマリア・テレジアがハプスブルク家の領土を相続します。
 

マリア・テレジア
マリア・テレジア
 ところが、オーストリアを取り巻くヨーロッパ諸国は、女性の君主は認められないと異議を唱え、オーストリア継承戦争(1740〜1748年)が勃発します。
 
 新興国家のプロイセン王国はボヘミアに進撃、たちまちシュレージエンを攻略します。フランスやバイエルンなどの軍勢もオーストリアに進撃し、ハプスブルク家は重大な危機に直面します。
 
 1741年、マリア・テレジアはプレスブルク(スロバキアの首都ブラチスラバ)でハンガリー女王の戴冠式を行います。そして、そこに集まったハンガリー貴族たちに援助を訴えます。
 
 1526年にフェルディナント1世がハンガリー王に即位して以来、ハンガリーの人々は独立を求めて反ハプスブルクの態度を貫いていました。しかし、マリア・テレジアは数ヶ月に渡って粘り強くハンガリー議会と交渉を続け、ついに説得に成功します。勇猛な騎馬民族を味方にしたハプスブルク家は反撃に転じ、オーストリア継承戦争、それに続く七年戦争(1756〜1762年)を戦い抜きました。
 
 マリア・テレジア以降、ハンガリーはハプスブルク帝国の中でも特別な存在となりました。
 
1717年 マリア・テレジア誕生
1740年 マリア・テレジア広場に立つマリア・テレジアの像神聖ローマ皇帝カール6世、死去。マリア・テレジア、ハプスブルク家を相続
(写真はウィーンのマリア・テレジア広場に立つマリア・テレジアの像)
プロイセン王フリードリヒ2世、シュレージエンを占領。オーストリア継承戦争はじまる(〜1748年)
1741年 スロバキアの首都ブラチスラバに建つブラチスラバ城マリア・テレジア、プレスブルク(スロバキアの首都ブラチスラバ)でハンガリー女王に戴冠
(写真はスロバキアの首都ブラチスラバに建つブラチスラバ城
1743年 マリア・テレジア、ボヘミア女王に即位
ハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿マリア・テレジア、シェーンブルン宮殿の改築をはじめる
(写真はウィーンに建つハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿
1756年 七年戦争はじまる(〜1762年)
1780年 マリア・テレジア、死去